52.五竜岳
同じく初登頂は高一の夏山縦走。以来、長く登る機会が無かったが中条村民登山に参加するよ
うになって何度目かが一泊での五竜岳だった。同行の参加者や山岳会の人たちと楽しく会話し
ながら、登りの苦労を感じること無く遠見尾根を五竜山荘へ。小屋前広場での宴会ヶ岳も新鮮
な驚きだった♪
53.鹿島槍ヶ岳
同じく初登頂は高一の夏山縦走時、以来ピークを踏んでない。当時の証拠写真も無いので近々
再登頂を・・と思っているのだが、取り敢えずは百座完登してからかな?
と思っていたら、長野市への合併前最後の中条村民登山が此処となり、2009.07.12下見山行で
45年ぶりのピークを踏む。もちろん三週間後の本番でも登り、続く時は続くもの・・。
54.爺ヶ岳
高一夏山縦走時の最後のピーク。種池山荘を最後の宿とし、翌朝は扇沢へ下山。当時未だ柏原
新道は無く、扇沢沿い急降下のルートだった。二度目は大学生だったJrと南峰へ、そして直近
は今回リンクした空白稜線を辿った山行。柏原新道のお陰で短時間で稜線に出られ北アルプス
入門の山として賑わっている。次回は山スキーで行ってみたい。
55.針ノ木岳
初登頂は会社のワンゲルメンバーと。雪渓スキー狙いのT本君と分かれ、残雪を辿りマヤクボ
沢を詰め、道無き斜面をハイマツ漕ぎしてスバリ岳との鞍部へ上がる。そこからは稜線の道を
針ノ木へ。今思えばヒヤ汗シーンもあり、あまり褒められたルートでは無かったかも。。
以後、山スキーで針ノ木峠やマヤクボへ何度も通うが、ピークを踏んだのは爺からの縦走時。
次は山スキーでも山頂到達を果たしたい。
56.蓮華岳
初登頂は村民登山下見で。この年に中条山岳会へ入会し初の会山行となった。山頂手前から雨
が降り出し、針ノ木雪渓下山中に落石あわや直撃のシーンも。落〜!の声を掛けたよっちゃん
に感謝。姉夫婦も参加した本番は好天に恵まれ皆さん満足気。その後はオジントリオでの縦走
出発点としてピークを踏む。次は大沢右又狙いの山スキーかな?
57.烏帽子岳
登頂は社会人一年目の盆休み裏銀座縦走のスタートとして。当時は高瀬ダムもなく車で濁まで
入れた。今から思えば不思議なくらい写真を撮らず、リンクはピークを踏まなかった蓮華から
縦走した時のもの。裏銀座は改めて槍まで歩きたいものだ
58.野口五郎岳
烏帽子岳同様写真が無かったが2013年8月17日、東沢谷を岩魚釣しながら遡行し東沢乗越へ。
真砂岳を越えて42年ぶりにピークを踏む♪
59.鷲羽岳
登頂の機会は二度あったが何故かピークを踏めず三度目は笠ヶ岳までの幕営縦走で。入山日は
雨が降ったり止んだりで登頂を諦め、二日目の早朝に三俣山荘からピストン。山頂到達までは
ガスに包まれていたが三度目に同情したのか、女神が霧を払いのけてくれ鷲羽池と槍の絶景を
プレゼントしてくれた。
60.三ツ俣蓮華岳
登頂したのは会社の後輩W田くんと立山〜双六縦走時。前泊の薬師峠から双六まで霧雨模様の
中、黒部五郎共々駆け足で通り過ぎてしまった。やはりじっくりと再訪したい山の一つだった
が、鷲羽の登頂に併せ再登頂、写真も撮る。
61.餓鬼岳
山仲間ヒロちゃんとの記念すべき初小屋泊まり山行が此処。思えば信州百名山の完登を意識し
始めたのも、この山行がきっかけだったのかも知れない。当時は北アの泊まってみたい山小屋
の一つとして餓鬼岳小屋に泊まりたかっただけだった(笑)相棒にとっては燕岳も稼ごうとの
思惑も有ったようだが、東沢乗越から中房温泉へとすんなり下山。
62.有明山
豊科〜穂高辺りを車で走っているとイヤでも目に付き、北アの前衛峰として存在感のある山。
前の月に蓮華〜烏帽子を縦走し、すっかり打ち解けたオジントリオの思惑が一致し、登るなら
復旧した行者道からと挑む。途中までは渓流釣りにも似た沢歩きの楽勝ムードだったが、沢筋
を離れたとたん急登の連続。達成感のある山行だった。
63.燕岳
中学校の集団登山が此処。勿論、北アルプスデビューの山。前日中房温泉入りし夜半から登山
開始。暗い中懐中電灯や提灯の灯りが登って行くのは幻想的だった。合戦の頭を過ぎ燕山荘が
見えてから遠かった事、稜線から槍ヶ岳を見た時の感動などが長く記憶に残る。この時の仲間
は今どうしているだろうか?山に嵌ってしまった自分の原点。
64.大天井岳
高二で表銀座を縦走して以来、会社の仲間とも通ったが喜作新道のお陰?でピークは踏まず。
信百狙いで踏み残しを知り合戦尾根からワンデイアタック。思えば燕へも随分ご無沙汰だった
が、懐かしく稜線漫歩を楽しむ。山頂では期待した槍の姿を見られなかったが、帰路の稜線で
何とか北と東鎌を従えた勇姿を見せてくれ、わざわざ大天井だけ登りに行った甲斐があった。
65.常念岳
初登頂は会社の同僚M村嬢・S田・S原君と。S原君は大天井から槍へ向かう。途中から降り
出した雨は山頂で霙となり日帰り組みの三人はS原君を心配したが、三日後に無事下山した。
二度目はリンクの様に山スキーでT木氏と。明け方までの降雪でリセットされた一ノ沢は細い
けど、綺麗な沢筋だった。常念乗越からも山頂滑降を期待して板を担ぐが、結局強風で雪が飛
ばされ途中にデポして山頂へ。時間が遅くなりクラストした斜面の滑りは散々だった。
66.蝶ヶ岳
計画では当時まだルートのあった横尾〜一ノ俣〜常念岳〜蝶ヶ岳だったが、一ノ俣へ入った頃
から雨が本降りとなり一旦は天幕を張るも激しい雨に横尾山荘へ引き返し小屋泊まり。
好天の翌日蝶ヶ岳へ直登し長塀尾根から徳沢へと下山。槍〜穂高の大展望を楽しむ。その後は
中条村民登山と大滝山日帰りでピークを踏んでいる。
67.大滝山
常念山脈の南端のため登頂機会が無く、信百のため蝶ヶ岳とのワンデイ山行。時あたかも紅葉
の真っ盛り。大滝分岐からは誰にも会わない静かな山旅を満喫。蝶からの槍・穂高大パノラマ
も圧巻だった。
68.槍ヶ岳
高校二年の夏山縦走で表銀座〜奥穂、この時は時間切れで穂先に登らず。山荘横から見た日本
離れの眺めに感動の涙。二度目は会社のワンゲル部員とやはり表銀座縦走。この時は悪天候で
山頂断念。三度目の正直はやはり会社のワンゲル部員との表銀座縦走で。念願の山頂もガスで
展望無し。次は北鎌か西鎌から登り360度の眺望を楽しみたいもの。。
69.穂高岳
高校二年の夏山縦走で初登頂。画像は背後の涸沢岳や前穂北尾根からして、山頂直下かな?
この時は岳沢へと下る。大キレット〜北穂〜奥穂は記憶も薄いので是非とも再訪したい。
70.焼岳
初登頂は2002年秋。快晴の下、紅葉と展望を楽しむ。その後村民登山下見で同じく中の湯から
再訪。リンクは敢えて山スキーで南峰を踏んだ時のもの。この年からコンビを組み始めたT木
氏と初めて冬の北ア本格山スキーへ。新雪を踏みしめ煌めく無木立の山頂を目指し、パウダー
に自分だけのシュプールを刻む。此処から冬の北アルプスを滑る魔力に取り憑かれたのかも。
71.霞沢岳
上高地に入るとどうしても明神・穂高が目立ってしまうが、背後にも六百山や霞沢岳の岩峰が
聳えている。信州百名山に入っていなければ此の山も恐らく登らずにいたかも知れない。
例によってオジントリオに村さんが加わり、ウェストンが通った島々谷から徳本峠を目指す。
宿は泊まってみたい北アの山小屋の一つ、徳本峠小屋。前年の豪雨により通行止めだった道も
漸く復旧する直前の決行。生憎のガスで展望は叶わなかったが古道と鄙びた小屋は楽しめた。
72.乗鞍岳
入社して間もない頃、社の先輩達と肩の小屋に泊まりサマースキーを楽しんで以来久しく行っ
てなかったが、最近は山スキーの定番。但し、強風だったり吹雪だったりで山頂を踏む機会が
なかなか無かった。この時は山頂直下はガスっていたものの好条件で、山スキー登頂可能な山
は山スキーで・・の念願叶い山頂到達。バスで畳平まで上がれる山だが、敢えて拘ってみた。
73.御嶽山
初登頂はインターネットの宣伝サイト取材で富貴の森温泉とのセット山行。田ノ原〜王滝山頂
経由剣が峰へ。午前中に下山して南木曾町の温泉へ。山スキーではリンクの時だけだが、翌週
に富士山大滑降を控え、初の3000m峰からの滑りを楽しむ。一ノ池辺りから上は固くクラスト
するが、ゲレンデボトムまでのロングツァーを大いに堪能。
74.鉢盛山
中条村民登山で登る。企画者の強みからか、最近は信州百名山を対象に登る山を選んでしまう
が、この時ばかりは村のイベントのお陰で一般は通れない木曽側からのアプローチができた。
参加者も減少傾向なので山仲間に声掛けし結局9人が集まってくれ、さながらこばファミリー
の様相。でもまぁ、なかなか登れない山にのぼれたので、結果良ければ全て良しとしたい。
75.小秀山
岐阜県側からの入山なので関市在住のネット山仲間G藤氏に声掛け、相棒ヒロちゃんも。
ルートは一時荒れて通行不可だった二ノ沢コース。夫婦滝まで木段や桟で整備された遊歩道。
渓谷美のコースだが人工建造物が多いと楽しみも半減。滝からは登山道らしくなり山頂へ。
晴れれば御嶽山が眼前に裾野を広げ立ちはだかる筈だったが、山頂に至る頃には雲隠れ。
山頂でお互いの名物料理を肴にプチ宴会。ごっちゃんとの三度目のオフ山行だった。